スポンサーサイト

-----,--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

時間を超えた贈り物。

07-28,2015


わたしが中学から高校の時、
当時一世風靡していた青山のグラマラスというショップの
"Naoko Ushiro"というリメイクブランドがあった。



雑誌に掲載されない月はなかったし、芸能人やアーティストもこぞって
Naoko Ushiroの服を着ていた、
知る人ぞ知る、時のデザイナー。



奈良に住む田舎者の私には、東京の有名ショップに行く知恵もお金もなかったので
雑誌の発売日に問い合わせしては商品を送ってもらったりしていた。
どこにいてもなにかしら手に入るいまと違ってあの頃はネットショップとかもなかったので
手に入れた時の感動も格別だったな。
あの、ファッションが本当に宝物だった時の気持ちを思い出す。









-----------------------------------------------------------------




高校を卒業してファッションの専門学校に行ったけれど、
”義務化”したファッションを自由人の私は昔のように楽しめなくなってきていた。
会社に入るとますますそれは進んでしまって、私は特にずっと企画とデザインだったので
内部に入ることで見たくないファッションの裏を知ってしまったり、
仕事がしんどかったり。
流行に流され破棄されていく流れ作業、当然自分の好きなモノと売れるモノは違っていて
デザインとは名ばかりで”売れる”デザインを作り続ける、きっと私の代わりはいくらでもいて、
ただ流行の駒になるための仕事。これは一体何のためにあるものなのだろう?
そんなことを考えるうちに、私はファッションというものに対する自分の気持ちがよくわからなくなっていた。
高校生の時ただの自己表現だったファッションは、
いつしか仕事をするためのものであり、誰かに評価されるためのものに変わっていた。
”ファッションが好きだ”と言う身近な人にいつも”?”クエスチョンが湧いた。



好きってなに?
ファッションが好きってどういう意味だろう?



ビジネスライクに関わることが当たり前すぎて、
そんなことすらも、もはやわからなくなっていた。




2年前にエシカルファッションと携わることに決めた時も、
ファッションが好きだからという気持ちではなかった。
社会貢献的なことをしたいと思った時に、
ただ私はこの仕事しかしたことがなかったから、他に思いつかなかっただけだった。







--------------------------------------------------------------------------------------------------







そんな風にファッションに対してやや後ろ向きだった私も30歳を超えて、
ようやく少しづつ楽しさを思い出して来て、デザインはどんどん楽しくなってきて、
ファストファッションで済まさずに自分の好きな服を選んで楽しめるようになってきた。




そしてふと偶然、"Naoko Ushiro"さんの現在の活動を知った。
実は"Naoko Ushiro"はあの一世風靡の時代、突然消滅して、
それからはどれだけ探しても情報が出てくることがなかった。
それが、去年あたりから活動されているとのこと。

Naokoさんの作る作品は独特で、絶対にNaokoさん以外に作れなくて、作品自体がNaokoさんだった。
そして、新しい作品もやっぱり、当時と変わらない、
ドキドキとワクワクをたくさんくれた、私の宝物だったNaokoさんだった。
もう15年くらい経つのに当時とまったく変わらない
Naokoさんの作品を見て、


この人は本当にカッコイイなぁと思った。



ただ本当に自分の好きなものを作っている、というとてもシンプルな世界。
シンプルだけど、それがものづくりの本質であり、
人を魅了するデザイナーの条件だと思う。
そんな当たり前の大切なことを、Naokoさんの洋服を見て、思い出すことが出来た。




そして私は社会貢献を啓蒙する人ではなく、Naokoさんのようになりたいと強く思った。











20150312_040ce2.jpg








スポンサーサイト

儚い糸のタペストリー

05-23,2015

久しぶりに家で1人でゆっくりする夜、パソコンで垂れ流しているiTunesのmixを止めて外から聞こえる音に耳を傾けてみる。


虫の声、風の音、自然の奏でる音楽も
それはそれは美しい。
家の前の大自然にはかなりの虫がいるようだけれど、彼らは何を思って一晩中鳴き続けるんだろう。
そういえばさっきピヨちゃんたちが私にむかって目をひんむいてビービービービー泣き喚いていたけど何言ってるのか全く意味不明だった。
違う生物とわかり合うことは難しいのかもしれない。
こんなに愛しているのにな・・・。


よく考えれば言葉を交わすことの出来る人間でさえ、他の人の考えていることはよくわからない。そりゃぁ、人ってやつはたまに他人のことをわかったふりをするけれど、それが本当にわかっているのかだなんて死ぬまでわかりっこないんだよ。だって自分以外の人にはなれないんだもの。
だから、人のことなんてよくわからないままでいいんじゃないかしら。
大事なのは、お互いに分かり合えないことを「わかりあう」ことじゃないかしら。







人の評価はいつでも水のように流れていって、諸行無常の名の通り、常に変化していく。
昨日愛してるといってきた人が
今日他人になることだってあるし、
嫌い合っていた人が大親友になっちゃうこともある。
人の気持ちはわかならいし私の思い通りになんてできない。
だから、人のことは気にはなるけれど、基準にはしないでおく。
基準はいつも自分の心に。
どんな選択をするときも、自分のしたいことを優先にする。感じるままに動き、心を大切にする。
刹那的な感情を元に行動すると
周りの人には意味がわからないと思われることもあるかもしれないけれど、
それは、私が私に与えた一番の自由。
だからそれと全く同じように他人の自由も認めたいと思う。

もし私の愛する人が
私を愛してくれても、
私のいない世界を楽しんでくれても、
私を嫌いになっても、
私は変わらず愛したい。








お互いに自立し、自由を認め合えば
私と誰かの人間関係は
ある日突然プツッと切れるような案外儚い糸で繋がれることになるのかもしれない。
でもそれでもいいって思えるくらい、後悔のないように自分と目の前の人を大切に生きていたいと思う。





今日も周りの人に感謝。
















"衝動"

04-15,2015

love.jpg







世界はいつも動いている。



さっきと同じものは、もう今この瞬間にはない。


すごく調子の良いとき、
たとえば
仕事がうまく行った時、
ライブに行って爆音を聞いて踊っている時、
好きな人と一緒にいる時、
心が震える本に出会った時、
デザインや絵を描いている時、

世界は一瞬のきらめきの連続でできているのだという感覚を掴むことが出来ることがある。
もう二度と経験できない瞬間たちの知覚。





twitterに、フリカエッターというアプリがある。昔のつぶやきから順に遡れる機能。
面白そうなのでそれで自分のつぶやきを見てみたら一番上の方に来たのは
2013年10月のMathew Jonsonのライブのつぶやきだった。
めちゃくちゃよかったらしく、今年ベストライブはKraftwerkかMathewかやなとか言ってたわりに
翌月の11月、System7×ROVOのライブに
さらにめちゃくちゃ感動したらしく、こんなライブにはもう会えないかもって何回もつぶやいていた。
この時、確かに一瞬のきらめきを掴んでいたという”記憶”はあるけれど
結局その瞬間に感じた感覚って時が経てば忘れてしまって
残るのは「すっごくよかった」っていうぼんやりとした感覚でしかない。
そして日常に「すっごくよかった」が溢れている私はすぐに忘れちゃうので、
忘れて、感じて、忘れて、感じて、を繰り返す。いろんなこと。





忘れることをわかっているから今を大切にする。
それは宇宙のパラドックス。
自分を受け取ってもらう瞬間も、相手を受け取る瞬間も、
快感はいつも自分以外の存在と”繋がる”ことにある。
そう、私はいろんな人や世界と繋がりたくてたまらないし、繋がることが最もピュアな快感でもあるのだ。
いや、むしろ繋がりたい衝動が全てを動かしているような気さえする。
私だけじゃなくて、きっと世界も。
仕事、読書、音楽、自己表現、喧嘩や戦争すらも
全て表現方法が違うだけで、
みんな、欲しいものは繋がっている感覚、じゃないかしら?



自分というフィルターを通して世界と繋がるために
人は作品を生み出すし
恋をするし
遊ぶし
喧嘩するし
いじけるし。






こないだ読んだ本に地球は”せつない星だ”って書いてた。
こんな表現をする人、美しくて好き。
終わりがあるものは幸せだし美しいし悲しいしせつない。
生きるってロマンティックだね。

















自分らしくあるということ。

12-19,2014


自分らしくいる、という言葉はとてもシンプルで明瞭な響きをしているけれど、
当たり前すぎて気付くことの難しい自分自身の思い込みの癖は本当の自分らしさというものをいとも簡単に隠してしまう時がある。


私は思い込みの激しい性格だったのですが、(過去形としよう)
最も顕著に現れていた特徴のひとつは
いつも二極・・・正しいのか間違いか、正義か悪か、黒か白か・・・を測る自分のものさしに振り回されていたという事。
正しさと間違いを独自基準で判断して、自分と人を図っていたのだ。

本来の自分ではない、作り上げたものさしによる虚像を自分らしさと長年思い込んでいると、それが当たり前なので自分では全く疑問に思わなかったりする。
自分の考えが絶対に正しいという
一つの意見に固執して、違う意見の人を理解しようとしない頑固な部分も、
人よりも勉強して賢いが故の「自分らしいこだわり」と定義してしまったり。










----------------------------------------



衆院選が終わった。結果はほとんど変わらなかった。政治は国民の象徴なので、日本という社会は二年前とほとんど変わっていないことを意味している。
だけど、社会の動きとは別に
私は二年前から大きく変わった。
そして私が変わるだけで私の世界も大きく変わった。

あの頃信じられなかった日本という国家、自分と逆の意見、周りの反応はもうほとんど気にならなくなった。
代わりにあるのは、周りにいる人への感謝と、好きなことをして生きている幸せ。
本当にありがたいありがたい。
昔のように頑固で「こうであるべき」という考え方はほぼなくなって、
「いいんじゃない~」が口癖のすっかり軟派キャラ。


実は私達はいつでも起こる出来事を違う角度、側面から見ているにすぎない。
そこに、「正しさ」や「間違い」という評価を味付けするのは個人の価値観やその時流行している「常識」で、本当はあるべき正解なんてどこにも存在しないのだ。
真実という言葉はなんてあやふやで実態のないものなのだろう。



善悪は立場によって変化するとてもとても曖昧なモノ。だから、はじめからそんなものさし自体が必要なかった。
起こる出来事はただ流れの中で起こっただけで、それに対して自分を正当化する必要も、誰かを否定する必要も、ない。
そんな風に思えた時、自分の中で大きく何かが変化した。
生きる事が楽になったのだ。
とても。


張りつめていた糸が切れたように、色んなことがどうでもよくなって
人にどう思われようが・・・気にならないことはないけれど、今では受け入れることが出来るようになった。
これは自分にとっては大きくてポジティブな変化だと思う。人の意見にほぼ左右されることなく、自分の意見にも固執しない、という流れるようなフラットな感覚でいられることは流動的な自分自身をいつでも
「自分らしさ」に導いてくれる。


自分らしくあるということは、自分を周囲に表現することでもある。
私はデザイナーという仕事をずっとしてきたけれど、自分を表現することはいつも本当に怖かった。
それは何故なのか今ではとてもよくわかる。
私は自分を表現する人を、自分の心の中で批判し続けてきたから。

自分を表現するということは、一歩前に出るということで、
好きだよと言ってくれる人が増えると同時に、好きだと思ってくれる人ばかりではないということを
受け入れることでもある。
そしてそれを怖がらずに受け入れたとき、もっともっと本当の自分に出会える。
踏み出すことなんて何も怖くなかったんだと踏み出すたびに思える。
踏み出すことで失敗も多く経験するけれど、
うまく出来ない自分のことを責める必要なんて何もないし、たいがいのことはいつだって何とかなる。
運命は決まってなくて、いつも「今この瞬間」から未来を選ぶことが出来るんだと感じることができれば、自分の内側のパワーを感じて強くなれる。
何をするかは本当に自由で、何かを成し遂げたっていいし、別に成し遂げなくたっていい。表面的な解釈よりも、感じ方が大事。
笑ったりはしゃいだり、泣いたり怒ったり、
私は私のままでいい。
「私のままでいいんだ」ということを自分に許可してあげることで、
生きることは本当に楽になるし、他の人の選択にも寛容になれる。
そして不思議と
人によく思われたい、
成功したい、
お金が欲しい、という執着もだんだんなくなっていく。
なくなっていくと同時にそれらがどんどん手に入ってくるのだから、
宇宙はやっぱりパラドックス。



自分らしくあるということは自分が自分でいいんだ、ということを知ってすべてを受け入れることだと思う。
自分の長所は同時に短所でもある。
どの角度から見るかは、自分次第。
いつだって自分らしさという手持ちのカードの中から未来は切り開かれていく。
人と比べる必要はないんだ。
だって必要なカードは全て今ここで、自分が持っているんだから。




10-14,2014


おばあちゃんが亡くなった。



数か月前から覚悟はしていたので、電話をもらったときもなんとなく予想がついていて、
あぁ、ついにきたか、と、あんまり驚くことはなかった。



最後に話したのは先週の土曜日。
いつもお見舞いに行くと寝ていてもすぐに起きるおばあちゃんが
その日はちょっとしんどそうだったから、
もう帰るね、また来るから。と言ってすぐに帰ってしまった。
おばあゃんは寝ぼけながら
もう帰るんか? と何度も言っていた。
わたしは何度もまた来るよ、と言った。


それがおばあちゃんと話をした最後。





実は私は5歳の頃、一年ほどおばあちゃんに育てられた。
だから人よりはおばあゃんっ子なのかもしれない。
おばあちゃんは町の人気者でいつも周りに人がたくさんいて、
私もたくさんの人に可愛がられて育った。
大人になっても末っ子気質なのはその経験があるからなのかな(笑)
今でもいろんなことを覚えているけれど、
おばあちゃんが人気者だったのはきっと誰よりも優しかったからだと思う。
道で会うぜんぜん知らない人に笑顔で話しかけたり
お金なんかないのにお金をあげたり物を買ってあげたり。
自分のことよりもまず人のことを一番に考えるおばあゃんを、
わたしは心から尊敬している。





数か月前、そんな大好きなおばあちゃんが癌だと知った。
癌は転移していて、いわゆる末期癌というやつだ。
うちの家は抗がん剤も手術もしないことにして、ただ見守ることに決めた。
わたしはただ祈っていた。
なんとなく昔から、死の瞬間はきっと自分で決めるものなんだろう、と思っている。
苦しい思いをしながら生きるのか、
安らかな死を選ぶのか、どちらが正しいかなんて測りしれない。
生きていてほしいと思ってしまうのは生きている人間のエゴでもあると思う。
だから、いつ死ぬかは、おばあちゃんが決めること。
だからただ、それまでおばあちゃんが安らかで苦しまず、
楽しんでいられるようにと
毎日寝る前に祈っていた。




病室にお花を欠かさないようにしたり、
昔の写真を持って来たり、おばあちゃんの食べたいものを持って来たり。
わたし達だけではなくて、友達みんながおばあゃんに元気になってほしくて、
いろんな工夫をした。
だけど日に日におばあちゃんは弱ってきて、
だんだん歩けなくなってきて、
話をすることも難しくなって、
ついに昨日意識不明になった。





誰も何も言わなかったけれど、覚悟をしなければならない時が来たのは
暗黙の了解だった。
救いだったのは、すごく顔色もよくて、安らかな顔をしていたこと。

「あれだけ癌が移転してるのに、痛くないって言ってて、薬もずっと飲んでなかった。
普通みんな痛がるねんで~おかしいよな~不思議やね~」
と母が言っていた。
おばあちゃんにわたしの祈りは届いていたのかな。
だとしたら、きっと、最後の瞬間を決めたのもきっとおばあちゃんだね。
昨日は台風が近づいていて、みんな台風が本格的になる前に帰ってしまった。
亡くなったのは今日の朝。
それはとっても気を使うおばあちゃんがやりそうなこと。

最後は会えなかったけど、
優しい死を迎えてくれたなら、それでいい。





最後の方は何言っているのかもうよくわからなかったおばあちゃんがなぜか
わたしの履いているLiv:raのスカートを何度も気に入り、
わたしがファッションの仕事をしていることもあんまり覚えていないのに
「仕事がんばりや」と何度も言ってくれた。



わたしがんばるよ、おばあちゃん、ありがとう。




告別式が済んだら今週末はファッションショーで週明けは展示会。
仕事も大詰め。
今は少し思い出に浸ってから、前に進もう。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。